カテゴリ:2022年


20日 10月 2022
私の読書遍歴は極めて偏っている。10代の時から面白いと思った作家の本を集中的に読んでそれ以外の作家の本はほとんど読んでいない。その読んだ作家も覚えているのは芥川龍之介、大江健三郎、庄司薫位である。最近は文学賞などを受賞した作品を読むようになり、気になった作家の本を読んだりとかなり雑多な読書になってきたが、それでもその範囲はかなり狭いと思う。昔の事や小さい頃の事はもうすでに忘れてしまっているので読んだような気がする程度の記憶が残っているだけだ。そんな記憶の中に何人かの作家の名が浮かんでくる程度だ。そして内田百閒だが全く読んだことが無かった。お客さんから教えられてどんな作品があるのかを知った位なのでこれははっきりしている。本棚に「冥土」という作品集があったが読んでいなかった。内容について聞かれたことがあったので時間のある時に読んでみた。冒頭にあったのが「昇天」という作品だったと思うがこれが面白かったのだ。そこから他の作品もいくつか読んでみたのだがそれほど面白いとは思わずそこまでで終わってしまった。やはりお客さんから教えて貰った作家に庄野潤三があるが読んだことが無いと思う。読んで忘れてしまった名前もけっこうあるのだが読み始めてその文章に記憶が無かった。どこかの書評で「静物」という作品の事が書かれていたのでその作品が載っている本を探したところ書店の棚にその文庫本があった。すでに四十一刷りであったのでかなり読まれているのだなと思った。幸いに最近の文庫本の価格にしては安かったのでこれを読んでみることにした。本の最初に入っていた「舞踏」という作品のことにもふれてあったが全体的にこういう文体なのかと納得できた。どれも今まで読んでいなかった分だけ新鮮で面白く読めた。最近出ている文庫本は昔の文庫と違って文字が大きくなっていて何とか読めるようになった。若い頃から目が悪く高齢になっていつまで本が読めるのかわからない感じになっている。残された時間でどれだけ読めるのかわからないが推薦された本は何とか読んでみたいと思っている。無駄な読書をしてきたとは思わないが少し偏った傾向があったので最近の色々なジャンルの本は皆新鮮な感動がある。
16日 6月 2022
最近になってコロナウイルスの感染者数が少しだけ減ってきているようだ。それでも新規感染者は毎日出ているので昨年の後半のような数字にはなってはいない。そんな状況で久しぶりに東京に行ってきた。久しく本を買いに古本屋に行くことを控えていたのだ。よくネットで見ている中村橋駅の近くにある「クマゴロウ」という店に行った。東武東上線は副都心線に乗り入れていて途中から戻るような感じで西武線にも行けるようになったので便利になっている。だが意外と時間がかかった。そして残念ながら休業であった。仕方ないのでそこから西武池袋線に乗り換えて江古田まで行くことにした。新しくできた「スノードロップ」という古本屋に行ったのだがここも休業である。諦めて近くにあった「ブックオフ」に寄って安い本を何冊か買って帰ってきた。一応定休日だけは調べておいたのだが古本屋の臨時休業は結構あるのでぐずぐずしていても仕方ない。その前日に行った川越の「ホォル」という古本屋で買った「代わりに読む人」という本の冒頭に自転車でワカメサブレを売って歩く女の子が文章を書いていた。これが面白かったのだが驚いたことに江古田の路上でも自転車でお菓子を売っている若い男の子がいた。なんだかこんな行商スタイルが今は流行っているのだろうか。思い出せば昔は田舎にはアイスキャンデーを自転車で売り歩く人がいたことがある。都会の路地で自転車で行商をする若者がいるのも面白いなと思った。江古田という街は自分が十代の最後の頃に住んでいた所である。近くには日大が有り夜中に校庭を借りて走った記憶がある。住んでいた三畳間のアパートはすでに無くなっている。駅も改築されて橋上駅になっている。だが狭い道路だけは当時のまま残っていて少し歩くと懐かしく思い出すことが出来た。そのアパートで深夜に帰宅して寝ていたら朝早く兄に起こされた。母親が死んだということでそのまま直ぐに帰郷したことも思い出した。この街にはニ年間位住んだのだろうか。そしてその翌年に結婚と何とも慌ただしい数年間だったと覚えている。「代わりに読む人」(創刊準備号)
21日 5月 2022
だんだんと暖かくなってきて最近は暑さを感じるようにもなってきた。今の小川町の店を始めてからはずっと寒かったような記憶があるので嬉しい。東松山の店と違って電車通勤なので何かあったらすぐに駆け付けることも出来ないので忘れ物などをしないように気を付けている。実際に看板をつけて店を開けるようになったらそれまでのように家の修理などはできなくなった。ほとんどお客さんが来ることはないので細々とした作業をしながら過ごしている状態である。店舗に当たる面積は前の店の十分の一位である。本棚も半分以上は処分してしまった。当初は並べる本も全くなかった。それでも約半年が過ぎて何となく家の玄関先に本屋風の場所が出来てきた。昔の駄菓子屋のようだ。私は入ったことはないがこの町にも昔は古本屋があった。今でもその家は残っていてうっすらと看板も掲げられている。屋根には残念ながら草が生えている。表から見ると何となく本棚などが置かれている感じがわかる。できれば一度中をのぞいて見たいものだ。一体どんな風に本が並べられていたのか興味がある。今更だが古本屋の後に古本屋が出来ればそんな良いことはないと思う。 少しずつ本を集めて何とか現在設置されている本棚には本が並べられている。たまには本の買い取りを求めてお客さんがやって来るようにもなった。そういった意味では古本屋としてだんだんと認知されてきているようだ。問題はこれからどうするのかがあまりイメージ出来ない事だ。前の店はビルの一階を店舗として使えたので古本屋として機能していたが今のところは完全に民家で一軒家である。商店街の中ではなく近所は住宅街である。駅からも遠く不便な場所であり商売としてできるようなところではない。私としては一度閉めた店なので依然と同じような古本屋を再度やっていく事はないだろうと思っていた。古い一軒家ではあるが普通に生活できる環境は揃っていて狭いながらも四部屋もある。これがどこかの山の中にでもあれば別荘として完全に遊びに使えるのだが何とも中途半端だ。当面考えられるのは知り合いの人に寄ってもらいお茶のみをする位だろうか。取り敢えず寒かった冬の季節が過ぎてこれから暑くなる夏の季節を経験したら一年の流れがわかる。ここで小さな古本屋をやりながら何か別の事も出来るのか考えてみたいと思っている。
28日 4月 2022
最近朝本を読むことを覚えてから寝床で本を読んでいる。歳をとって睡眠時間が少なくなり朝早く起きるようになった。だがあまり早く起きだしてテレビなどをつけると隣の部屋で寝ている家族から苦情が出る。しばらくはテレビの音を消して見ていたのだが音が出ない画面を見ていると眠くなってしまう事がわかった。どうしようかと考えた挙句に起きださないで寝たまま本を読みだしたのだ。これで結構本を読むようになった。他の人に聞くとやはり朝早く起きて(ほぼ深夜に近いようだが)ラジオを聞いている人が多いようだ。そう言えば以前に私も深夜のラジオを聞いていた憶えがある。睡眠時間が短いのも老化現象の一つなのだろう。結局起きる時間は同じなのだが家族よりもなるべく遅く起きだすまでの時間を読書で過ごしている。簡単に読める本はひと朝(変な言葉だ)で読み終える。読み終えないままに起きだすこともあるが次の朝に続きを読めばいい。それで結構本が読めるようになったし少し厚い本も読み終えるようになった。 最近は古本だけでなく新刊本も多く読むようになってきた。直近で読み終えた本に津野海太郎氏の「かれが最後に書いた本」というのがある。昔「本とコンピューター」という雑誌を読んでいたがその編集をしていた人である。もう高齢になるので知り合いにも亡くなった人もいる。それらの人も含めて最後に書かれた本の事が書かれている。その中の一つに興味を持つものがあった。加藤典洋という人の父親とのエピソードである。父親が特高主任として検挙した人物について何度も口論をした話や学生運動でも絶対捕まらないように注意した話などが出てくるのだ。そして今度は加藤氏の出した「大きな字で書くこと」という本をネットで注文して読んでみた。これがまた文学的な文章でとても素晴らしい。まるで詩を読んでいるようである。しかも内容は父親との確執がさらに詳しく書かれていてこれも面白いのだ。津野氏の本ではもう一冊の本も紹介されていたのでこちらも近いうちに読んでみようと思っている。自分の若い時はそんなに多くの本を読んだということはなかった。気に入った作家の作品をいくつかまとめて読んだ位である。今はそんなにこだわって読んでいる作家もいない。他人に薦められればなんでも興味を持って読んでいる。いつまでにどれだけの本が読めるかわからないがまるで流れに漂うような読書であるがこれも面白い。
15日 4月 2022
二月に店の看板をつけて小さな立て看板を出したらポツポツとお客さんが来るようになった。当初は何の店で中はどうなっているのだろうかという好奇心でちょっと覗いてみたといった感じの人が多かった。そしてまだ本も少なく家の玄関先にそれらを並べているだけなのですぐに全部を見ることが出来るのであっという間に去って行く人が多かった。それでも本の好きな人はどこからか聞きつけてやって来ていたが並んでいる本を見てあまり興味を持てなかったようで何度もやって来るようなことも無い。以前の店に来ていたお客さんも少し来ていて少し不便な場所なのでこちらもそう何度も足を運ぶと言った風でもない。最近は町内に住んでいる人が噂を聞いて覗いていくようになった。今月に入ってやっと少しずつ暖かくなってきたので散歩中に来てくれるといいとは思うのだがお客さん曰く「入りにくい」ということだ。それは前の店でも言われていたことで商売に向いていない性格なのかやはり恥ずかしいのだ。そんな訳で趣味的な古本屋ですと言い訳をしながらやっている。営業日も週の後半から四日間で時間も午後から五時間だけとしている。やっと二か月が過ぎて本を持ってきてくれる人も出てきたし少しは本を買ってくれる人も出てきた。何とかこの地でやっていけるだろうかと言った感じで日々過ごしている。希望としては本をもう少し増やして家を改修して本を置くスペースも増やしていきたい。前の店を閉めてから約半年が過ぎたが極めてゆっくりと進んでいる(のかも知れない)。これから先の時間がどれだけあるのかはわからないが少しずつ歩んでいくしかないと思っている。それにしても今のコロナ社会は何時まで続くのだろうか。結構生活に影響しているような気がするのだが。
18日 3月 2022
相変わらず新型コロナウイルスの感染者の数が増えている。信じられないことだが一時はこの新規感染者の数が一桁だったのだ。自身もすでに三回目のワクチンを接種したのだがまだ怖くて東京など人の多い所には出かけられないでいる。テレビなどを見ていると全く関係ないように人出はあるようなのでこれも信じられないことである。そんな状況なので本をインターネットで買うことが多くなっている。このことのデメリットは実際に本を見ること無く買うことである。したがって届いた後にちょっとイメージしたものと違う本がある。多少の日焼けや程度の悪い本は我慢することになるが許せないのは線引きである。書かれているコメントを読んで参考にしているのだが線引きはありませんと書いてあるのに線引きのある本が届くことがある。どこまでチェックしているのかわからないが線引きがあるかも知れませんというのもある。そんな中に線引きがありますが読むのには支障がありませんというのがある。どういった判断なのかわからないが線引きのある本を読んでいて差し障りがないことはない。読んで線を引くのはその人でありその後に読む人ではない。線を引いた人にとっては大切な箇所かも知れないがその後に読む人にとっては全く意味がない箇所である。線が引かれていれば当然そこに目を止めてしまうので大いに支障があるのである。まして読む人にとって意味のない線引きであったら全く落書きと同じである。コロナ下でネット販売での古本の売れ行きが伸びているという記事を見たがそんな状況に飛びついている人だったのでしょうか。
03日 3月 2022
新型ウイルスの流行は何時までたっても終わらない。感染者が少なくなったと思ってしばらくすると再び増加する。その繰り返しで全体的にはその数は増えていくばかりだ。おまけに感染後の後遺症で体調がすぐれなくなる人も多くいるようだ。このウイルスはわたしたちの生活を大きく変えてしまったと思う。私たち年寄りは外出することを控えるようになった。定年後の生活は社会との接点が少なくなり家の中で過ごすことが多くなる。それなのに感染を恐れて外出を控えていたら他の人と話す機会もなくなり家に閉じこもって生活することになってしまう。精神的にも良くないし体調も悪くなるような気がする。そんな生活がすでに二年以上も続いているので心配になってくる。ことから 最近は朝早く起きるのを止めて明るくなっても布団の中で過ごしている。起きた所で会社に行くわけでもなく寒さの中をテレビを眺めているだけだからだ。遅くまで寝ていても誰に迷惑をかける訳でもなくむしろ早起きすると家族から文句を言われることもある。そんなことから布団の中に居て枕元に置いてある本を読んでいる。本は外に出なくてもインターネットで注文すれば家まで届けてくれる。そうして積み上げられていた本を朝起きる前に読んでいるのだ。今までは寝ながら本を読むと悪く言われることがあったが今更そんなことも無いので結構読み進んでいる。大体本は買うだけで読まずにただ積み上げて置いたものが多かったのでこの間に一気に読んでいる。驚いたことにこの寝ながら読書で積み上げられた本が無くなってきたのだ。最近買ってきた本まで読んでしまって周囲にあった本は無くなり店の棚に納められてしまった。
09日 2月 2022
先日新聞の書評欄で読んだ中で気になった本があったので買って読んでみた。文学賞の予備審査なのか編集者が読んでいて泣いていたという文章だったので読んでみたくなったのだ。本には二作が掲載されていたが表題の作品はいきなり関西弁の文章だったので戸惑いながら時間をかけて読んでみた。どこで泣けるのかと期待しながら数日かけて読み終えたが残念ながらどこで泣けるのか気付かないうちに読み終えてしまった。泣けなかったが良い作品だと思った。 前の店をやっているときには通る人から見えるところに勤めていた会社の求人チラシを貼っていた。その所為か暇な店だった所為か本を買う以外のお客さんが結構来た。多くは仕事は無いかというものだったがほとんどは社会に対する不満を話して帰って行った。ある時来た若い女の子は店でいきなり泣き始めた。泣きながら郵便局で働いていたが辞めて仕事が無いという事だった。どうも障害を持っているらしく働かないとお母さんに申し訳ないとしきりに言う。見た所何の障害があるのか全く分からなかったがどこも雇ってくれないと泣き続けていた。他にお客さんがいなかったので良かったが知っている所を紹介して帰って貰った。驚いたのは瞬きもしない大きな目から丸い大粒の涙がぽたぽたと零れ落ちたことだった。よくテレビドラマなどではあるのだろうが本当に丸い粒が次々と零れて床に落ちていった。透き通るようなきれいな丸い涙の粒を初めて目の前で見た。女の子が帰った後でそこをモップで拭き取った。そんなことを思い出した。
08日 1月 2022
昨年の7月末から約半年を経て新しく借りた家で毎日のように掃除や修理をしていた。実はまだその作業は終わっていないのだがそろそろ残った本を整理して本棚に入れ始めている。今度は店舗ではなく普通の一軒家なのでその土間に本棚を置いて見られるようにしたいと思っている。12月いっぱいかかって片付け作業をしてきたが未だに終わっていない。なかなか大変な作業である。今月中には本は見られるようになるだろう。しかしこのような予定外の事になったので昨年の内に本はほとんど処分してしまった。このようなことになった経過も色々なことがあるがそれは言わないことにして新しく古本と雑貨と郷土資料を並べて皆さんに寄ってもらえるようにしたい。ただ問題は駅から遠く歩くと30分くらいはかかるだろう。国道沿いにバスは走っているのでそのうち案内にはその時間も記しておきたいと思う。営業的には週の後半の開店と言った感じを考えている。まだまだ寒いので暖かくなったら少しは良いかもしれないという現状報告。