カテゴリ:2016年6月


26日 6月 2016
漫画を大学の講義に使用するということは今ではそれほど違和感はないかもしれない。白土三平氏の漫画カムイ伝が連載されていた当時は大学紛争が盛んな時期で、ストに参加した学生達が読んでいたということが話題にもなった。その作品をテキストにして現代社会を考えるという講義が行われると言うのも不思議な話である。...
16日 6月 2016
 以前に店で演奏会をやったことがある。基本的には自らの企画を店でやることはないのだが、古書店で音楽会をやりたいという持ち込み企画だった。すでに二度目となる三人にゲストとしてギター女子が一人、時間前にリハーサルがあった。とりあえずいつもお客さんが来ない店なのでたっぷりと練習ができる。やることもないのでその光景をながめていた。構想しているのは詩の朗読と歌をミックスした構成なのだろうかと思われる。とても良い企画だと思うが残念なのはお客さんが少ないことでもったいない。  練習中にキーボードとでゲストの女の子で演奏する。なかなか良い感じである。他のメンバーも思わず聞き惚れる。さて本番が始まるとちょっと違う。二度目なので新鮮味が薄れてしまったのだろうか。声が出てこない。二人がうまくかみ合わない。何だか普通の演奏だ。後で他のメンバーに確認するとやっぱり同じ感想だった。その時はやはりすごく良かったのだ。レコードにする時などは何度もやり直すから一番良いものを記録して残すことができる。よくレコードとライブが違うということが言われるが、ライブでは良い時と悪い時とが味わえる。それが魅力なのだと思う。その時良いと思った演奏がもう一度あるとは限らない。  初めて東京に住んだ時には生の演奏が聴けることが嬉しくてよく音楽喫茶に出かけていた。当時はGSが流行っていてテレビで見るバンドが生で見られたのだ。それも入れ替えなしでずっと聞いていられた。いい加減にやっているバンドもあったが客も少なかったので仕方ないかもしれない。練習だと思ってやっているバンドもあった。それはそれでなかなか味わい深い演奏だったが、もうだんだんと忘れてしまった。
12日 6月 2016
 店の開店は午後からなので午前中はテレビを見ていることが多い。飽きると家の周りの掃除や手入れをして飽きるとまたテレビを見ることの繰り返しで時間を潰している。飽きる理由は毎日同じようなニュースをやっているからでワイドショーでは手を変え品を変えて同じことを繰り返している。何度見ても本当に繰り返しだ。映像も同じものを何回も映し出す。放送局もすごいと感心してしまう。東京都知事の話にはもう麻痺してきた。時々大リーグの野球も見る。日本人が出ていると結構見てしまう。これで時間が稼げるのだ。田中将大が打たれていると何だか気の毒に思えてくる。日本で24勝もしたのにと何故と思っても、高額な契約金をもらっているのだから同情する自分が馬鹿みたいだ。  もう30年以上も前のことになるが、現ロシアで原発事故が起こった時に広瀬隆氏を招いて講演会を開いたことがある。かなりショッキングな内容で運動も盛り上がったが数年したら下火になって皆ほかのことに戻ってしまった。しばらく放射能の測定運動を続けていたが続かなかった。日本で原発事故でも起こらないと本気にならないのではと言われた。福島原発事故の際には当時の政権与党は直ちに問題はないと連発し、その後選挙で変わった政権では原発再稼働が行われ相変わらず原発に依存している。反原発運動も政治運動も挫折した今となってはかなり醒めた感じで眺めている。さて、広瀬氏は講演会の中で色々な情報は新聞などの報道で得ていると言った。著書を何冊も出しているのでそれなりの資料は集めるのだろうが、要するに報道されない裏側の部分が重要であるということだった。今テレビなどで毎日取り上げられて報道されている内容は見ている人の眼を反らせているだけだとしたら、その裏側では何が進行しているのだろうかと心配になる。「東京に原発を」広瀬隆(集英社文庫)
05日 6月 2016
 先週の日曜日から体調不良の状態で皆さんにご迷惑をかけてしまった。昼食後から何となく体が不安定になり歩くのにもふらふらしてしまう状態だった。それが4日ほど続き我慢していたのだがお客さんに車に乗せてもらって病院に行ってきた。近くの市民病院で救急扱いで診察してもらったが結局大きな所見もなく帰された。今一週間経過した大分落ち着いてきた。季節の変わり目でもあり体調が不安定になっていたのだろう。急に店を閉めて外出したり、早めに閉めたりでもし来店するお客さんがいたら申し訳ない思いである。もしそういう人がいたらということだが。  今回のことでは店を一人でやっていることの不安を感じている。街中にあるとはいえあまりお客さんが来ないので、もし倒れてしまっても誰にも気づいてもらえないのではないかということである。食事をしていたりトイレに入っていたりということであれば何ということもないが、病気やけがで倒れた場合はどうなるのだろう。もしお客さんが来なかったらそのままになってしまう。そしてその可能性は大なのである。だからと言って人を雇う余裕などないので店を閉めるのか、などと考えていたらまた不安になってきた。
01日 6月 2016
今、東京都知事の公私混同的な公費の使い方が話題になっているが、昔の東京を描いた塩見鮮一郎氏の「江戸時代の非人頭・車善七」という本を読んだ。色々な差別問題について書かれたものにも興味があり集めて来た。この本は最近購入したものだが、そのきっかけは白土三平氏の「カムイ伝」である。漫画は現役世代としてそれなりに読んできており、もちろん「カムイ伝」も月刊誌に連載されていた当時からの読者であった。その中に非人が重要な位置で登場してくるのだ。「カムイ伝」は差別問題についても大きなテーマとして取り上げていて、それは作品の最後には大胆な結末をもたらす。そんな仮説を作り上げて大丈夫なのかと心配しても本人は死んでしまっているので反論してくることはないだろう。でもこれが全体の物語を貫く重要なテーマなのである。 塩見氏は江戸の差別問題について多く書かれており、有名なのは浅草弾左衛門についての本である。江戸時代の身分制度からはみ出した人達のリーダーとしての存在について多くの本が書かれている。士農工商という言葉はよく聞かれるが、そこに入らない芸人などの身分の人達を束ねていたことになる。非人はさらにその支配下に置かれていて、多くが路上生活者であり、そのリーダーが車善七である。車善七についての本はあまり見かけない。多分あまり記録が残っていないのだろう。でもこの層が多くの差別を抱えていたのではないかと想像できる。浅草弾左衛門も車善七も個人の名前であるが代々引き継がれた家柄である。明治になると身分制度が廃止されて非人も認められなくなった。車善七も家系が途絶えている。が、今の東京には多くの路上生活者が溢れている。江戸時代は住民からの様々な要望に対して多くの施策が講じられているが、今の東京はほとんど無策だ。「江戸の非人頭・車善七」塩見鮮一郎(三一新書)