17日 1月 2025
今年も既に今頃になってしまいました。昨年は入院して手術と大変な年となってしまいました。合わせて小川町でやっと慣れてきたと思ったら閉店となり後半は慌ただしい日々でした。さて今年は吉見町で新たに私設図書室などを設けて再度やってみたいと思います。準備は進んでいるので2月にはオープンできると思います。是非ご利用ください。
25日 12月 2024
いよいよ今年も年末になりました。今月は小川町の店を閉店して後片付けをしていました。ここで3年ほど営業していたのですがそれなりの荷物が増えていて始末するのも結構大変でした。結局本は同業者に引き取って貰って本棚などの備品は全て処分しました。それでも色々な残務処理で時間がかかりました。今週の頭でやっと家の鍵を返してすべてが終わりました。そして来年からは現在住んでいる吉見町で空き家だった家を改修している所の一画をお借りして本を並べたいと思います。一部は私設の郷土書籍の図書館のようにしたいと思っています。古本屋はそのまま継続して幾つかの別の方法を考えていきます。家の改修は現在も続いており1月中は準備になると思います。また趣味的に借りていた畑も同じ所に移して畑仕事をしながら古本屋をするような感じになります。何とか軌道に乗ればいいのですがもう少しお待ちください。
15日 9月 2024
私の読書遍歴は極めて偏っている。10代の時から面白いと思った作家の本は集中的に読んで、それ以外の作家の本はほとんど読んでいない。その読んだ作家も芥川龍之介、大江健三郎、庄司薫位である。最近は文学賞などを受賞した作品など色々な本を読んだり、気になった作家の本を読んだりとかなり雑多な読書になってきたが、それでもその範囲はかなり狭いと思う。昔の事や小さい頃の事はもうすでに忘れてしまっているので読んだような気がする程度の記憶が残っているだけだ。そんな記憶の中に何人かの作家の名が浮かんでくる程度だ。 そして内田百閒だが、全く読んだことが無かった。店のお客さんから教えられてどんな作品があるのかを知った位なのである。店の本棚には「冥土」という作品集があったが読んでいなかった。その本の内容について聞かれたことがあったので時間のあった時に読んでみた。冒頭にあったのが「昇天」という作品だった。これが面白かったのだ。そこから他の作品もいくつか読んでみたがそれほど面白いとは思わずそこまでで終わってしまった。 「昇天」だが、実に不思議な作品である。他の作品も読んでみたがどれも随筆風の短編で小説にはなっていないような印象がある。しかし「昇天」はきちんとした小説に仕立てあげられている。この登場人物のエピソードは他の作品にも出てくるのである。そこからはこの作品に対する思い入れを感じる。作品の登場人物は「おれい」という芸娘である。それ以外の名前は作者である「私」も含めて出て来ない。色々な評論家が調べているのを読むと実在の人物が多いという事がわかった。実際にそのような施設もあったという。そんなことも原因なのだろうか、そんな必要が無かったようにも思える。 「私」は百閒である。そしてその「私」が贔屓にしている芸娘であり、過去には同棲していたとなっているので普通の関係ではない。また別の作品では身内の子であるとも書かれている。そこでは妻として住んでいた「こい」の末の妹とも書かれている。実際の関係は別として、作品としての登場人物で書かれている訳である。しかし芸娘であり、結核で入院しているという境遇は同じである。そのことからもこの辺は事実としてあったのだろう。その辺がこの作品を複雑にしている要因かも知れないが、他の作品と比較しても「昇天」だけが小説として完成していると思う。 冒頭は「私」が病院に「おれい」を見舞いに行く所から始まる。その様子が描かれているのだがやはり妖しい雰囲気が醸し出されていく。重要なのは二人の会話である。当初一般の病院ではなくキリスト教の病院であることへの不安が「おれい」から語られる。「私」も見舞いに行った印象から不気味な印象を受けたように書かれている。しかし、次からは「おれい」から語られるエピソードからかキリスト教に対する見方が変わってくる。そして、次第に「おれい」の病状が悪くなっていくにつれて神に対する信仰心が芽生えてくる。「私」の言葉も彼女に対する同情から愛情へと変わっていく。当然のように信仰も大事だとようになっていく。 登場人物は少なく、病院長、副院長、下男のような人物などが重要な発言をしていく。いよいよ最後になって、「おれい」がある日ベッドに立ち上がり歩き出そうとして転倒したことが下男によって「私」に語られる。まさにその光景は、そのまま天に昇る不気味なイメージとして想像できるのである。病に罹って死にそうな娘が、ベッドの上で手を組んで昇天するという図である。実際にはベッドから落ちて、やがて死も近づいてくるところで作品は終わっているのだが、百閒のこの主人公「おれい」に対する愛情は何か深い特別なものが有った様な気がする。 この作品を読んで印象的だったのは二人の会話である。「おれい」の「私」に対する安心感、「おれい」に対する「私」の愛情が会話を通じて伝わってくる。不気味な作風、ユーモア混じり文章に伝えられる百閒ではない力量が感じられるのである。それは「おれい」に対する本物の愛情から書かれている故ではないかと思えるのである。
15日 6月 2024
これは一体何のことかと思うかも知れないが私が発行している同人誌である。年に二回6月と12月に出しているがだんだんと執筆メンバーが少なくなってきて最近は私も原稿を書いている。詩の同人誌なので詩のようなものを書いているのだが年に二回で26号となると書くことも無くなって来ている。新作などなかなか難しい。メンバーが居なくなって私一人になれば出さないと思うが皆さんよく新作を出してくれている。みんな頑張っている。
23日 5月 2024
店に買い取り希望のお客さんが内田樹氏の本を何冊か持ってきた。既に何冊かは並んでいたのだが綺麗な本が多かったのでそのまま店の棚に置くことにした。それにしても本の発行ペースが速いのに驚いてしまう。特に最近は次々出されているように感じる。一時椎名誠氏の本も早いペースで本が出されていたのを思い出す。あまり内容を良く覚えていないのだが食傷気味になることがあった。今回読んだのは「村上春樹にご用心」というもので村上氏に関する文章を集めて一冊にまとめたものである。店のお客さんも感想を寄せてくれたことがあった。私はほとんど読んだことがなかったがお客さんに貰った本があったので読んだ記憶がある。村上氏の作品がノーベル文学賞を受賞するのではないかと毎年騒がれるようだが未だ受賞はしていないと思う。国内ではあまり文壇での評価は高く無いような印象があるが若者たちには人気があるのではないかと思われる。そう考えるとどうも村上氏の作品が上手く理解されていないのではないかと思える。とにかく受賞はしていないがナーベル賞を受賞するのだは無いかと噂になる位なのだからである。私も今四作しか読んでいないがよくわからない。わからないというのは世界的な権威であるノーベル賞候補としての作品であるという事についてだが。最近読んだ新作も分からないという方が多かったが舞台となる私設図書館のあり様は興味があった。作品数は多いのでまたしばらくして読む機会があったら別の作品も読んでみたいと思う。受賞したら確実に読んでみるだろう。
08日 3月 2024
小さな古本屋で週の半分しか開いていない店ですが買い取りも行っています。最近はネットでの販売が主流のようになっている業界ですが一番の課題は仕入れになります。本が無ければ売ることも出来ません。どうやって仕入れるのかどこの店も色々と考えているようです。昔と違って今はお客さんもネットで本を買っているので相場も知っています。良い本を安く仕入れたいと思ってもそんな上手い話はありません。店での買い取りは基本的には持ち込みをお願いしたいと思います。昨年車の運転免許を返納したので買い取りに行くのが困難です。どうしても引き取りに来て貰いたいという事なら知り合いを通じて対応しますので相談ください。
10日 2月 2024
昔勤めていた会社の転勤で静岡に移動になったことが有る。ある時仕事に行かずそのまま映画を見に行ってしまったことが有った。その時見た映画がこれである。「おかしな関係 絶体絶命」。出演はジャック・レモンで同様のシリーズが何本か作られていた。コメディ風の映画だったが中に出てくるアニメの内容が良くてビデオを買っておいた。アニメの内容は戦争の悲惨さと人間のすばらしさを簡単に紹介した数分のものだった。これを新しく家族になる少女に見せるのだ。そして少女は感想を求められて「分かった様な気がするわ」と言うのだが。このアニメが良くて買ったのにVHSビデオなので見ることが出来なきなってしまったのだ。DVDでは製作されていないのでそのまま持っていたが残念ながら今は手元にはなくなってしまった。もう年取ってしまったので見ることも無いだろう。最近こんな昔の想い出を断捨離することが多くなった。映画の公開は1973年のことである。
25日 11月 2023
先日近くにある古民家カフェに出かけた。最近家族はこういったカフェでお茶を飲むのが好きなようで私といった後に知り合いたちともう一度出かけるのだ。要するに今回は下見のようなものである。家に引き籠っているよりあちこち出かけてみる方が気持ちも良いだろう。そう思ってそんなカフェが載っている本を見つけたので買ってきたのだ。それを見て時々出かけているようだ。今回は私の休みに合わせて一緒に出掛けることになったという訳である。以前にもこの近くにある古民家カフェに行ったことがある。今回はその店よりさらに奥まった所にあったが看板が見つけられずに一度通り過ぎてしまった。何とか探してたどり着いて駐車場もわかってやっと店まで坂道を登っていくと既に先客があった。折角なので相席をお願いして席に座って様子を見ていたが店主一人で切り盛りしているので時間がかかるようだった。メニューを貰ったがその説明を聞く所から始まった。どうも拘りがあるようなのでこちらもじっくりとメニューを睨んで悩んでしまった。しかし内容はコーヒーはアイスのみで種類も二つしか無い。軽食もワッフルだけでそれも二つしか無い。隣に座っているお客さんが頼んだものを頼むか別のものを頼むか悩みながら別のものにした。様子をみていると隣のお客さんにも同様で食べるときはこうして下さいと言うのである。コーヒーもシロップを入れるのをお勧めしますと言う。折角のこだわりのコーヒーなのに甘いシロップやミルクを勧めるのだ。どこの段階で帰ろうかとずっと悩みながらもゆっくりと味わいながら飲み食べて隣りのお客さんが帰った時に一緒に帰ることにした。メニューの説明、注文の説明、食べ方の説明ととても丁寧な接客ですっかり疲れてしまった。やはり山の中で古民家を改良してお洒落なカフェをやっている人には何らかの拘りがあるものだと納得する。
08日 10月 2023
今年の夏は7月から9月迄本当に暑かった。昨年はどうだったかと思い出しても確かに暑かったとは思うがこんなに長かったかとは思わない。年々季節は早く過ぎていくので一年中暑いような気がする。異常気象は色々な場面で現れて100年に一度のこととか言われても過去の記憶は全く無い。体が覚えている記憶も年々忘れていくので日々経験することはほとんど自分の経験したことの無いような事だ。しかし実際にはこの体が記憶していることは多いようである。最近読んだ本に「記憶する体」がある。いつものように何故この本を選んだのかは覚えていないのだが何かの記事か書評かであろう。そしてこの本が面白かった。以前に芥川賞を受賞した市川沙央氏の言葉にも驚いたが身体障碍者が体に持つ記憶についてこんなことが有るのかと驚いた。本は障碍者についてのインタビュー集なのだがそれぞれの障碍の中に持つ特異な感覚というものがあるという。この内容が凄いのだ。人間の体はこんな風になっているのかと言うのが当事者の感覚として述べられているのである。一例として全盲の人の感じる色の話がある。これがまた恐らくは個々人では全く違う色があるのだろうと推測できると思うと人間の体は本当に不思議に出来ていると思う。
09日 9月 2023
知り合いのブログで「現代詩ラ・メール」についての本が出ることを知ってネットで予約した。こんな本が出るのだなと思い懐かしい思いだった。読んでみると当時の編集者が書いた本だった。この人は全く知らないひとだったが創刊時に一年間ほど購読した記憶がある。しかし明らかに女性をターゲットにした雑誌でありその後は読むことも無くなった。内容からは当時の様子がよくわかりここには懐かしい名前が出てきた。今もあるだろう池袋西武のコミュニテイカレッジの詩の講座に通ったことがある。講師は吉原幸子氏で「ラ・メール」を創刊した詩人である。当時会社の組合活動で文学サークルに入って詩を書き始めていたのだ。そこでプロの詩人の講座を受講してみようと思ったのだ。だが日程と時間が合わなくて全く知らない吉原氏の講座に参加してみたという訳である。想像した以上にほとんど女性でそれでも男が数人いた。一期目が終わりもう一期続けたがこれも想像したようにリピーターがほとんどだった。それでも教室の内容やその後に喫茶店での話し合いも面白くて何度か参加していた。吉原氏が関わるイベントなどにも参加して知り合いも出来た。そんな中で生徒たちで同人誌を出すことになり「街角」という冊子を出した。そこには三冊目までは詩らしきものを出し記憶がある。その中に多く出てくるメンバーたちが今回の本にも登場しているという事なのだ。おそらく吉原氏を取り巻く女性陣の多くは同人誌から「ラ・メール」へと進んでいったのだろう。残念ながら中に書かれているように吉原氏は病気になり「ラ・メール」も廃刊になってしまった。知り合いになった何人かの人からは詩集を送って貰ったことなどもあって懐かしく思い出した。

さらに表示する